廃村紀行

秋のある日、名田庄村の永谷地区の廃村を訪ねました。
この地区は、関西電力が計画した京都府と福井県の両府県にまたがる100万キロワット級の揚水発電所の下部貯水池の予定地とされ、いずれ水没する地区として立ち退きになりましたが、その後ダム計画は白紙となり、今はむなしく廃村となってしまったのです。

揚水発電所は、福井県の原発で発電した夜間のあまった電力を使って、モーターを動かし、下部貯水池の水を上ダムまで汲み上げ、電力の需要の多い昼間に再び水を落とし、落差を利用して発電するというもので、いわば巨大な蓄電池のようなダムです。
 水没地となる出合、挙原、永谷には20戸ほどの人家がありましたが、半ば強制的に立ち退きとなり、
最後まで残った永谷地区は村を二分する行政の強引なやり方に反発し、9戸のうち4戸が最後まで抵抗したようですが、ついに1985年ころ村を捨てざるをえなかったものです。

上ダムは美山町の芦生の京大演習林内の上谷地区に予定されていましたが、原生林の残る貴重な環境を破壊するものだという地元住民と京大の強い反対運動が起こり、結局ダム計画は白紙になってしまったものです。

永谷部落の入り口、人の気配はまったくありません

橋は落ちてしまっていて、家に入ることもできません。
玄関口に「村を二分するダム反対」の看板が今も残っていました。

関電の原発反対との看板

へっついさん、かつての生活が偲ばれます。

たった9所帯しか住んでいなかったのに
大きなブランコと滑り台が今も残っていました。
この滑り台で遊んだ子供たちは、今はどうしているのでしょうか

この家は移築したのか蔵だけが残っていました。

この過疎の集落にも、ようやく道路がつき、喜びに沸いた時もあったのでしょうか。
道路記念碑がむなしく残っていました。

立派なお寺が残っていました。お寺の中に入ってみて、禅宗の長泉寺という寺であることがわかりました。

寺の中は真っ暗でしたが、フラッシュをたいて写真に撮ってみたら、内部は今もきれいで、つい先日まで人々が集まり、あわただしくこの寺を去った様子が伺われました。ご本尊様は移したようですが、仏具が散乱していました。(画像をクリックしてみてください)

お寺の横に、小さな神社の祠がありました。

狛犬が今もこの村に残ている唯一の「生き物」でした。こちらは「うん」です。
上の画像をクリックしてみてください。

こちらは狛犬の「あ」です。
画像をクリックしてみてください。
頭の上の紅葉の飾りがきれいでしょう。

なにやら感傷的になって、村を去る女性